《大正文学史》章节试读

出版社:筑摩書房
出版日期:1985-5
ISBN:9784480010070
作者:臼井吉見
页数:258页

《大正文学史》的笔记-第5页 - 第一節 二つの事件

芦花关于幸德事件的反应很有趣w
わけても、死刑に反対して、桂首相に手紙をおくり、天皇にあてた助命嘆願の公開状を朝日新聞社へ寄せた徳富蘆花は、死刑執行を知って憤激し、二月一日、一高の校友会に招かれて、「謀叛論」と題する講演を行ったが、ために校長新《に》渡《と》戸《べ》稲《いな》造《ぞう》が譴《けん》責《せき》処分をうけるようなさわぎをおこしている。「謀叛論」の草稿は、幸徳事件裁判の暴挙を攻撃して、ただならぬ勇気を示したものであった。「富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有を主張した、社会主義が何が恐い? 世界の何処にでもある。然るに狭量にして神経質なる××は、ひどく気にさへ出して、殊に社会主義者が日露戦争に非戦論を唱へると俄に圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となつて、官権と社会主義者は到頭犬猿の間となつて了つた。」と言い、以下のようにつづけている。「せめて××になつたら一滴の涙位は持つても宜いではない乎。それにあの執念な追窮のしざまは如何だ。××の引取り、会葬者の数にも干渉する。秘密、秘密、何もかも一切秘密に押込めて、××の解剖すら大学ではさせぬ。出来ることならさぞ××の霊魂も殺して了ひたかつたであらう。否、××等の体を殺して無政府主義者を殺し得た積りでゐる。……××等は死ぬる所か活溌々地に活きてゐる。現に武蔵野の片隅に寝てゐた斯くいふ僕を曳きずつて来て、此処に永生不滅の証拠を見せてゐる。……何十万の陸軍、何万噸《トン》の海軍、幾万の警察力を擁する堂々たる明治政府を以てしても、数ふる程もない、加之《しかも》手も足も出ぬ者共に対する怖《おび》え様も甚しいではない乎。……」
 キリスト教を信奉し、トルストイを尊敬する蘆花が、秘密裁判による集団死刑に対する憤りを投げつけたのであって、彼らの思想なり実行なりに共感したからではなかった。
 木は、蘆花とは根本においてちがっていた。幸徳らに死刑の宣告された一月十八日の日記に、「今日程予の頭の昂奮してゐた日はなかつた。さうして今日程昂奮の後の疲労を感じた日はなかつた。……日本はダメだ、そんな事を漠然と考へ乍ら丸谷君を訪ねて十時頃まで話した。夕刊の新聞には幸徳が法廷で微笑した顔を、悪魔の顔とかいてあつた」としるした木は、幸徳事件の衝撃について、ある手紙のなかで、こう書いている。
 「……現在の社会組織、経済組織、家族制度……それらをその儘にしておいて、自分だけ一人合理的生活を建設しようといふことは、実践の結果、遂に失敗に終らざるを得ませんでした。その時から私は、一人で知らず知らずの間に Social Revolutionist となり、色々の事に対してひそかに socialistic な考へ方をするやうになつてゐました。丁度そこへ伝へられたのが、今度の大事件の発覚でした。恐らく最も驚いたのは、かの頑迷なる武士道論者でなくして、実にこの私だつたでせう。私はその時、彼等の信条についても、又その Anarchism, Communism と普通所《いは》謂《ゆる》 Socialism との区別などもさつぱり知りませんでしたが、兎も角も前言つたやうな傾向にあつた私、小さい時から革命とか暴動とか反抗とかいふことに一種の憧憬を持つてゐた私にとつては、それが丁度、知らず知らず自分の歩み込んだ一本路の前方に於て先に歩いてゐた人達が突然火の中へ飛び込んだのを遠くから目撃したやうな気持でした……」
 もっとも、明治四十二年十一月、「きれぎれに心に浮んだ感じと回想」のなかで、彼はすでに次のように書いているのである。
 「長谷川天渓氏は、嘗て其の自然主義の立場から“国家”といふ問題を取扱つた時——一見無雑作に見える苦しい胡麻化しを試みた。(と私は信ずる。)謂ふ如く、自然主義は何の理想も解決も要求せず、在るが儘を在るが儘に見るが故に、秋毫も国家の存在と牴触する事がないのならば、其所謂旧道徳の虚偽に対して戦つた勇敢な戦も、遂に同じ理由から名の無い戦になりはしないか。従来及び現在の世界を観察するに当つて、道徳の性質及び発達を国家といふ組織から分離して考へる事は、極めて明白な誤謬である。——寧ろ、日本人に最も特有なる卑怯である。国家! 国家! 国家といふ問題は、今の一部の人達の考へてゐるやうに、そんな軽い問題であらうか? 啻《ただ》に国家といふ問題許りではない。)
 昨日迄、私もその人達と同じやうな考へ方をしてゐた。今、私にとつては、国家に就いて考へる事は、同時に、日本に居るべきか、去るべきか、といふ事を考へる事になつて来た。凡ての人はもつと突込んで考へなければならぬ。又、従来の国家思想に不満足な人も、其不満足な理由に就いて、もつと突込まなければならぬ。私は凡ての人が私と同じ考へに到達せねばならぬとは思はぬ。永井氏は巴里に去るべきである。然し私自身は、此頃初めて以前と今との徳富蘇峯氏に或聯絡を発見する事が出来るやうになつた。」
 現在の社会組織、経済組織、家族制度をそのままにしておいて、個人の合理的生活を建設することの不可能なこと、道徳の性質や発達を国家の組織から分離して考えることの誤りであること、幸徳事件の勃発によって、それらの道すじが、いよいよはっきりしてきたこと、——木にとって、問題はそこにあった。「自分の歩み込んだ一本路の前方に於て先に歩いてゐた人達が突然火の中へ飛び込んだのを遠くから目撃したやうな気持」が、そこに基づいていることは明らかである。文学者で、幸徳事件をこのように受けとったものは木のほかにはなかった。


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